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こんにちは。
三条市経済部商工課です。

わたしたち商工課は「ものづくりのまち三条」の魅力を発信したり、ものづくりを支える中小企業、小規模企業者の事業活動支援を行なっています。

以前の記事で、三条市のものづくりの情報発信拠点である「三条ものづくり学校」と情報発信企画である「日々是ものづくり」についてのご紹介をしました。

今日は、三条ものづくり学校のスタッフでありながら農業も営んでいるひとりの移住者にフォーカスをしてみようと思います。

1 移住者プロフィール

斉藤 翔 さん

こんにちは。
2019年に三条市に移住してきました斉藤翔です。
山のほうで鬱金(うこん)農家をしながら、街のほうで三条ものづくり学校という会社の企画の仕事をしています。

移住のきっかけは、農業とものづくりに興味があったためで、3年と少し過ごしてようやく理想の環境に落ち着きました。畑作業をしたり、いろんな工場に訪問したり、自分でも商品を作ったりしています。

いろんなことをしているようにも見えますが、このまちにとって実はクラシックな働き方でもあります。

三条ものづくり学校の斎藤ディレクターと
キッザニア マイスター フェスティバル in 三条でのヒトコマ


2 燕三条の農業とものづくり

工場の欠片にふれるイベント「Factory Piece Market」

ここ三条市は、お隣の燕市と合わせて「燕三条」という名称でよく知られているかと思います。金属加工・ものづくりの産地として有名ですね。

だいたいの地理は新潟県のほぼ真ん中。そして日本一長い川の信濃川を挟むように東が三条市、西が燕市です。
そんなものづくりの産地 燕三条の歴史は江戸時代、約400年前に始まったと云われています。
当時、農民として暮らす人たちは頻発する信濃川の氾濫で困窮していたそうです。そんな折に代官所から、農民の副業として”和釘作り”が推奨されました。鍛冶の始まりですね。
農民は農耕の傍らで和釘をつくるようになりました。それが発展して農具の鍬や鎌もつくるようになり、発展はつづきにつづき約400年。現在の”燕三条”の形に至りました。

(詳しくは「燕三条 工場の祭典 オフィシャルブック 2019」をご覧ください。燕三条市民の必読書です笑)


3 おわりに

最近は「複業」なんて呼ばれ方で複数の生業を持っている人もいますが、この地域にとっては昔からスタンダードな働き方だったのではないかと思います。

農耕の傍らで、ものづくりを。

たまたまですが僕の働き方もそんな形になっていて、ちょっと運命的なものを感じたりもしますね。
一意専心な職人肌にも憧れますが、二足の草鞋で暮らし働くのもいいなと思います。そういう意味でも多様性を受け入れる土壌が400年前から築かれてきた燕三条。興味を少しでももたれたら、遊びに、働きに、暮らしに、ぜひ燕三条にいらしてください。

最後までお読みいただきありがとうございました! 少しでも三条市での暮らしに興味をお持ちいただけたなら、いつでもお気軽にご連絡ください😊