燕三条を代表するブランドSUWADA その裏には徹底的な経営指針と人と向き合う社長の想いが隠されていた | 株式会社諏訪田製作所
こんにちは。三条市ふるさと納税担当です。
当記事では、ふるさと納税の返礼品を提供いただいている市内企業を紹介します。
ニッパー型のつめ切りで高い人気を誇る、株式会社諏訪田製作所(以下、諏訪田製作所)。力を入れずとも切れやすく、巻きつめなどの変形したつめも難なく切ることができるつめ切りは、国内外問わず、多くのファンに支持されている。
ここまで広く受け入れられるようになったSUWADAブランドの裏には、一体何が隠されているのか。その理由を探るべく、徹底的な経営指針で改革を図った3代目社長小林知行さんのもとを訪ねた。
喰い切りの技術をもとに、ニッパー型のつめ切りを製造
諏訪田製作所が創業したのは、1926(昭和元)年。現社長の祖父が鍛冶屋で身につけた経験をもとに独立したのが始まりだった。当時は、クギや針金、刃を食い込ませて切る「喰い切り」を問屋に卸していたそうだ。
その後、戦争の時代に突入。個人商店も前線に駆り出されるなか、諏訪田製作所は喰い切りだけでなく、落下傘(今でいうパラシュート)の金具も製造するようになった。しかし、戦争が終結すると、卸先がなくなってしまい、売上が激減。
「今の需要に合わせて何ができるか」と考えて辿り着いたのが、つめ切りだった。
当時から大工は休憩時間に喰い切りでつめを切ることが多く、それを知っていた諏訪田製作所は誰もが使うつめ切りに可能性を見出した。
「伝える」ことに焦点をあてた、オープンファクトリーの先駆者
戦後、つめ切りの製造を始めたものの、思うように売上には繋がらなかった。それが大きく変わったのは、現社長の小林さんが代表の座についた1997年以降のことだった。
「当時は家族や親族を含め、20人ほどが働いていたのですが、それに見合うだけの売上があがっていない。『これだけの人員がいて今の売上しか出せていないのはおかしい』と疑問を持ち、経営にさまざまな改革を施しました」
その中のひとつが、オープンファクトリーだ。今でこそ一般的になった工場見学だが、当時は鍛冶仕事の工場見学はなく、諏訪田製作所が初めて。「心を込めて商品を作るものづくりの現場そのものを見てもらいたい」といった社長の想いから始まった企画だった。
しかし、社員にオープンファクトリーの計画を伝えると、「人が来たら作業に集中できない」「気が散って事故を起こしてしまう」「作業効率が落ちる」と反発の嵐。それでも、現場の職人の力を信じていた小林さんは、「僕はやるよ」と返答したそうだ。
「職人の意見はもっともです。でも、普通に集中して仕事をしていれば、人が来ても気にならないはず。ウチの職人たちは大丈夫だという確信がありました。ただ、1日の仕事の流れを変えないことだけ約束したんです。休憩時間や就業時間後に工場を訪れても中に職人がいないタイミングもある。現場を見せたい気持ちはあっても、僕たちは『見せるため』に仕事をしている訳ではない。そのことを来てくださる人に理解してもらうようにしました」
当時の工場では珍しい、緻密に計算された事業計画
オープンファクトリー開設に向けて動き出した諏訪田製作所。2006年に建物自体を改装し、誰でも見学しやすい通路を作った。そのために借り入れた資金は2億円。当時の諏訪田製作所の売上が5億円程度だったことを考えると、かなり大きなリスクだ。
ところが、社長はこの借り入れはもとが取れると確信を得ていた。2億円の3分の1は、エアコンの費用代。通常、集塵機*がある工場では冷気が集塵機に吸い込まれてしまうためエアコンは付けないが、エアコンの量を2倍にし、取り付けたエアコンの風をお客さんが通る廊下とシェア。一石二鳥となるようにエアコンを設置したのだ。
※集塵機…空気の汚染防止や人体などへの有害物質を回収するため、排気に含まれる煤(すす)や粉塵などの粒子を気体から分離する装置
さらに、オープンファクトリーにはショップも併設。見学した後にお土産を買って帰ってもらえるように工夫した。
「お金が落ちる仕組みまで計算しないとビジネスとして工場は決して成り立ちませんし、銀行にもお金を貸してもらえません。さすがに2億円はよく貸してもらえたと自分でも思いますが、細かく書いた事業計画でなんとかなりました」
こうして、実直な職人の姿ありのままを見ることができる、諏訪田のオープンファクトリーが始まったのだ。
「どんぶり勘定」の世界から、スキルの有無で昇給する会社へ
子どものころから家業の工場を手伝っていた小林さん。初めて工場のタイムレコーダーを押したのは中学生のときだった。朝から晩まで家業を手伝い、1日のバイト代は1,500円。まさに職人の世界で罷り通っていた「どんぶり勘定」で支払われたものだった。
大学時代に経験したアルバイトで、その「どんぶり勘定」が解決しなければいけない課題であると認識した。イタリアンレストランのオープニングスタッフとして時給850円のアルバイトを始めた小林さん。オーナーもシェフもイタリア人だったレストランでは、「英語ができたら時給100円アップ」「イタリア語ができたら、さらに時給100円アップ」とマネージャーから声をかけられた。時給を上げたい一心で英語もイタリア語も覚えた小林さんは時給1200円で働いていたそう。スキルがお金に換算されることを身をもって知ったのだ。
しかし、大学を卒業し、工場に帰ってくると、昇給の仕組みがおかしいことに気がつく。
「1万円給与が上がった職人がいたので、父親に『なんであの人は1万円上げたの?』と聞くと、1年経ったからと答えが返ってきました。『じゃあ、1年経って彼はどんなスキルが身についたの?』と聞くと、『正確には分からなくても、1年分の経験があるじゃないか』と。その人がどんなスキルが身に付いて、どれくらい工場の売上が増えたのかを把握もしていないのに、働いた期間を根拠に昇給を決める制度をいいかげんだと思ったんです」
そこで、職人一人ひとりの仕事を計測して、昇給の根拠を明確化。社員の実績や能力を数字で見えるようにした。昇給のために定めたステップは、600段階! さらに工場で生産している全120アイテムの制作工程で考えて、それぞれの職人のスキルをチェックしている。
とはいえ、全てを数字で管理するわけではない。何よりも大切にしたいのは、社員との1対1のコミュニケーションだ。小林さんは、全社員と個別に面談する体制を整え、毎年、短い人で1時間、長い人で2日間もかけた1対1の面談を20年も続けているという。
「誰もが家庭の事情や、普段は言葉にできないような感情を持っています。デジタル的に仕事の結果を数字で蓄積しても、数字で全てを判断することは決してしません。会話を大切にし、『心』で判断しながら、デジタルとアナログ両方の情報をアジャストして評価をしています。これから社員が増えて100人になるまでは、全員と直接向き合い続けられると思います」
明確な評価基準と、社員との綿密なコミュニケーション。
どちらも怠ることなく心血注いで改革してきたからこそ、今のSUWADAブランドを支える職人が育ってきたのだ。
そんな諏訪田製作所の根幹に流れているのは、「三方良し」の精神と後世へ伝えていくことへの強い覚悟だった。
鉄の歴史を次の世代へ伝承していく
時間はかかるかもしれないけれど、人は必ず変われる———
難航を極めた社内改革で、小林さんは変化を遂げた人を幾多も見てきた。だからこそ、人を信じ、面談を通し、社員と接する機会を多く作ってきた。そして、小林さんにとってその対象は社員だけではない。
「僕たち諏訪田製作所のクレドは、『三方良し』です。良いものでありたいと思いつめ切りを作り続けていますが、それが良いものか悪いものなのかの判断は、僕たちつくり手だけでは判断しかねます。お客様も周りの人も支持してくれないと、良いものかどうかさえ、自分たちでは確信は持てません」
「三方良し」の対象は、あなたと、私と、世間。
諏訪田製作所に携わる誰もが幸せになる道を探し、辿り着いたのが、オープンファクトリーであり、明確な評価基準であり、綿密なコミュニケーションだったのだ。
一方で、小林さんは「鉄の歴史を後世に伝えること」に力を入れる必要があると感じている。
「今、私たちが扱っている『鉄』は、およそ5億年前に落ちてきた隕石が始まりだと言われています。その中で刃物は打製石器から考えると100万年以上の歴史を持っており、さらに人間が鉄を作り始めたのはたったの3000年。遥か昔から存在し、作り続けてきた鉄を使い、人類はナイフを作り、生活の道具を作って共に生きてきたのです」
果てしない歴史を持つ、鉄の歴史。そう考えると諏訪田製作所が鉄に携わっている今は、一瞬かもしれない。「それでも」と小林さんはその1分1秒の重要性を唱える。
経営の変革により、大きな変化を遂げた、諏訪田製作所。
だからこそ、質の高い商品を生み出し続け、オープンファクトリーには連日多くのお客さんが訪れる。小林さんの徹底的な経営指針と社員を想う気持ちが表れた結果なのだ。そんな社内改革を経た諏訪田製作所は、社員一丸となり、今後もワクワクする取り組みを仕掛けていってくれるのだろう
株式会社 諏訪田製作所
住所:新潟県三条市高安寺1332番地
電話番号:0256-45-6111
諏訪田製作所のつめ切りは三条市のふるさと納税返礼品として採用されています。下記サイトよりご寄付のお申し込みができますので、ぜひよろしくお願いいたします。